人間の秘密


人間とは何でしょうか?
哲学的、科学的、医学的、文学的、宗教的いろいろな角度から述べられています。
一口に人間と呼ばれる中にも、私は宇宙の創造、進化の過程から超感覚的に解析すれば、4つの状態があると思っています。

1)覚醒状態【起きている時】、
2)寝て、夢見ている状態、
3)熟睡している状態、
4)死んだ状態【死体】、
人間一生の中で1)の状態の時間が長いのですが、生理的な角度からいえば、この4つの状態になるのではないでしょうか?
別の角度から人間を見た場合、見かけ的には一つの肉体に映っていますが、実はこれも4つの要素から成り立って入りといわれています。
A肉体【物質】+B生命体【エーテル体】+C霊体(アストラル体)+D魂(エゴ)、の4つですが、目視できるのはAだけです。BCDは見えません。
たまにBが見える脳力を持った人もいます。このことは後程また説明いたします。(画像参照)
そしてこのA,B,C,D4つに分けることが上記の4つの状態に連動しているのです。

それはまた地球上に存在する4つもの、A=鉱物、A+B=植物、A+B+C=動物、A+B+C+D=人間ということにも通ずるのです。
このことを理解することが、迷いなく人生生活を充実させてくれるのではないかと思っています。




さて、さらにユダヤの経典カバラの中にある生命の木(セフィロートの木)の考えでは、4次元の世界を含んだ大宇宙は10種の属性とそれをつなぐ22の小道からなっていると説いています。 

それをさらに大きく分けると、われわれの4次元の世界のマルクート10、カバラではアッシャー界と呼ばれています。
その上の低次の三角形7,8,9が作り出す層イェツィラー界、と4,5,6が作る高次の三角形の層ベリアー界とさらにその上の1,2,3が作る至高の三角形の層アジィルート界の4層に分けられるとされています。
(画像参照)

私たちが目視できるのは10アッシャー界の世界のみで、後の3層は目視できませんし、そこには時間の観念もありません。

この関係構造を頭においていろいろな状態を考えれば、この世とは、あの世とは、人間とはどこからきてどこへ帰っていくのかといったことが、おぼろげに見えてきます。

じゃあ、まず人間はどこから来たのでしょうか?

旧約聖書では、生命の木(セフィロートの木)の1番ケテル(創造主)が、光あれとこの世を創造したとされています。

トップページの六芒星理論で紹介しましたが、絶対0(アイン)混沌の界に1点、絶対1(アインソフ)を打ち込みました。(画像参照)

そしてこの世が生まれ、成長進化してきたのですね!
ビッグバン理論と合致します。
実は人間というものの種は、この時からすでに存在していたという説があります。念(魂)という形で1,2,3アジィルート界に存在していたのです。
まだ形にはなっていません。この後創造された4次元世界の時間の経過とともに、凝固していくにしたがって人間も形造られていったのです。
一つの例として、イメージを思い浮かべてみましょう!
水蒸気を含んだ空気が空にあります。何もないようですがそこには水分が存在します。(魂と考えてください)
雲になりました。(霊が存在しました)
水になりました。(生命体が存在しました)
氷になりました。(最終凝固の肉体を持った人間になりました)
といったようなことです。

ということは、人間の魂というものは4次元の界(今生界)では肉体と結びついて限りがありますが、実はその上の階層では宇宙創成時から存在し続けているのです。
ただ、創出されたのがすべて同じ時期ではないので存在期間の長短はあるでしょうが、上層階ではずーっと存在し続けているのです。
あなたも私も、この4次元の世界、さらに特定するなら地球上に、生殖によって肉体が創造されたときに、霊と魂(アストラル体とエゴ自我)が高次の世界から降りてきたのです。

じゃあ死ねば、どうなるか?肉体を地球上に脱ぎ捨てて、アストラル体と、自我(エゴ)は高次の世界へ帰っていきます。実はこれが当初に掲げた熟睡状態と同じことなのです。

逆に言えば、死とはアストラル体と、自我(エゴ)が再び癒着してくる肉体が機能を失っているので、その対象がなくなったということですね!
エーテル体(生命体)は、少し時間をおいて地球上に脱ぎ捨てられます。エーテル体が抜けた後、肉体は崩壊して鉱物に帰ってゆきます。
あなたの魂も私の魂もほぼ永遠といわれる当初から高次の世界ではずーっと継続しているのです。

しかし、この4次元に現れる、回数は一定ではありません。過去に何回も登場した人もいるでしょうし、初めての人もいます。
何回も登場した人も、いったん高次の世界へ帰って再び降りてくるときは、すべてを清算して、産道を通るときに過去のすべてを忘れて生まれてきます。

しかし、まれに過去の記憶を保持して生まれてくる人もいます。そのような人はどんな状態なのかは後で説明します。

では、高次の世界、天上界はどのようになっているのでしょうか?
まず、あの世に関して臨済宗の僧侶で作家の玄侑宗久氏によれば、「あの世」とは仏教用語ではないが日本人にとってみれば「昔いた懐かしい場所」という感覚でとらえられてきた、と述べられています。

また、宗教と切り離したところの意見では、東京大学附属
病院救急部、集中治療部部長で、名誉教授の矢作直樹氏によれば「死とは何か」について、「われわれの目に見える肉体はあくまでも3次元の存在で、人間の意識は目に見えるものとは別の「高い振動数の粒子」の集まりと考えられます。ただし、生きている間は、意識は肉体とつながっている。人が死ぬことは、肉体と意識のつながりが切れ、意識が肉体を出ていくことを示します。」と述べている。

さらに、アメリカ、マサチューセッツ州の医師ダンカン・マクドゥーガル博士は、人が死ぬ瞬間の体重を計測し続け、死ぬと体重が21グラム減ることを発見した。そしてそれが「魂の重さ」だと結論付けたのだ。

〈以上週刊ポスト9月2日発売「あの世」の大研究より!〉

私が前述した概念とほぼ一致します。


ここで今一度、前述で紹介しました、絶対0(アイン)混沌の界に絶対1(アインソフ)の1点が打ち込まれてこの世が創世されたといった、ミラクル・ヘキサの3次元論(時間を含めての4次元)を思い出してください。

つまり、この世もあの世も含む大宇宙は0と1の法則で成り立っているのです。
0と1、何か思い浮かびませんか?コンピューターの演算原理と同じです。

ミラクル・ヘキサの外側、宇宙の外0と中心の1は途中に4次元の空間がありますが、実はそれを超えた高次の世界では時間、空間の観念はありませんので繋がっているのです。
太古の人間はそれをすでに説いていました。

蛇が自分のしっぽを加えている「ウルホロブスの蛇」であらわされています。【画像】


そこで、わたくしはこの大宇宙を0と1で「素粒子」をコントロール、構成している超、超、スーパーコンピューターの世界と比喩したいと思います。

その表現はわかりやすくイメージするためのもので、現実は逆に、人類の知能が少しでもそれに近づく挑戦をしているのが、現在のコンピューターの発達過程ではないかと思います。

そう考えると符合することがたくさん出てきます。

メモリーがこの間まで、フロッピーだったのが、光ディスクに代わり、現在はフラッシュメモリーになり、何ギガも収録されるようになりました。

人類、この宇宙の成り立ちから現在までのすべてのことは「神」超、超スーパーコンピューターの世界にすべて記録され、コントロールされています。と考えると、当然「過去世」はあり、それもメモリーされています。

たまに、自分の過去をよみがえらせる能力を持っている人がいますが、不思議でも何でもないのです。

産道を通るときに、すべてを忘れてこの世に再登場すると書きましたが、何らかの肉体と過去のメモリーの組み合わせによって、過去を記憶している人がいても不自然ではないのです。
これが、「過去世」を語る人の解き明かしです。

で、4次元の世界より高次の世界は0と1で素粒子をコントロールする世界といいましたが、これも以下のように理解するとイメージしやすいですね!

我々がいろいろな事柄をフラッシュメモリーにデーターとして記憶させていますが、それを具体的にとりだす時はどうしているでしょう。
コンピューターの機能を通して、ディスプレーモニターに投影していますね。
昔は、白黒でしたが、現在は天然色になり、音声も出るようになりました。将来は立体的に投影されるかもしれません。

この感じが、私たちの現実の世界、4次元の世界は「神の世界」からの投影だと考えれば理解しやすいのではないでしょうか?(あくまでもイメージをつかむための表現です)
現在ロボットの開発が盛んですが、近い将来自分が生まれた時に同じようなロボットを作って、あるいは自分の肉体に成長過程を記憶するメモリーを埋め込んで、一生を記憶することができるようになるかもしれません。
これは、他人より誰よりその人を知っているという存在になりませんか?
また、そのレコードを再生すればその人の一生が改めて再現されるということになります。
人間でさえここまで近づいている訳ですから、その大元である神は素粒子すべてをレコードしコントロールする、想像を超えた能力を持っています。

死ねば肉体を脱ぎ捨てて、「素粒子」になって、フロッピーかフラッシュメモリーに帰りファイルされます。
逆に言えば、私たちは「素粒子」でファイルされている無味な世界から、恋あこがれた4次元の感覚ある天然色の世界へ送り出されてきたのです。

ここに命の大切さ、喜びを感謝しなければならない訳があるのですね!不平不満の愚痴など言っておれないですよ!
また「自殺」などというものが、どういった行為であるかがここから測られますね。

さて、ここまでのことから現実の世界を思い起こせば腑に落ちることが多々あります。
例えば、熟睡がアストラル体(意識体)+エゴ(自我、魂)が高次の世界に完全に帰っているのに対して、不眠ということは、エーテル体からの離脱がうまく行われていない状態です。

つまり、人間(物質+生命体+意識体+自我)の状態から植物(物質+生命体)の状態に戻してやれば、それが熟睡状態というわけですね!
これをイメージして努力すればいいわけですね!

これは、肉体の死後にも言えます。往生するとは、本人の魂と意識体が納得して、肉体を抜け出して高次の世界へ旅立ってしまうわけですね!

逆に現世に未練が多く残っていたり、その死が突然であったため、肉体は死んでも死にきれないという状態は、肉体、エーテル体と意識体が引っ付いたままでスムースに高次の世界へ飛び立てない状態ですね!
これが、霊がこの世に残る状態、幽霊といわれる現象です。

つまり死ぬときは、この世に何の未練も「凝り」も残さず、魂と霊(意識体)が高次の世界へ飛び立つことですね!
その後、地球上で残された肉体が先に滅び、追ってエーテル体も消滅してゆきます。

飛び立った魂と意識体は高次の世界でどうなるのでしょう。それが死後の世界ですね!

ここで思い出していただきたいのが、何度もその死後の世界はコンピューターと同じだと申しましたが素粒子の0と1でコントロール、ファイルされるということです。
まず、ファイルされる場所は前述した低次の3角形7,8,9イェツィラー界が作り出す層、ここも便宜上エーテル層と呼ばれている場所です。
ここで、自分の生前一生を振り返る映像が現れるといわれています。
メモリーされた素粒子からの巻き戻しですね!
閻魔さんが出てきて判定を行い、地獄か天国に行くかを振り分けられるとか言われているところですね!
そんなものはありません。コンピューター的法則で、自動振り分けされてしまいます。

ただ、自分の一生の映像をつぶさなく、相手の側の立場に立ってみせつけられます。相手の立場に立たされて、受けた感覚を味合わされます。
その感覚は、痛みとか苦痛といった肉体的なものはないのですが、それは、のどの渇きにも似たものだと!渇いて、渇いて、渇望しても水を得られない、もどかしい感覚だとか!

そこで一定期間、期間といっても時間の感覚はないのですから、一瞬であり、百万年の月日かもわかりません。
そのあと、霊と魂は、さらにもう一段界上のアストラル体4,5,6ベリアー界の高次の層へ飛び立ちます。
そこで、霊の浄化が行われて、再度ファイルされて、7,8,9イェツィラー界へ降りてきて待機します。そして、ふさわしい時、場所、肉体に転生します。

このタイミング、場所などなどが、「神」超スーパーコンピューターの順列組み合わせの妙で、神の采配、運命というものでしょう!

ただ、自我のもう一度同じ条件の場で挑戦させてほしいという渇望によって、前世の生きざまと同じような条件下に転生されるともいわれています。
それは、高次元で浄化された魂、霊が来世(4次元界)で進化されているかどうかを試されるためでもあります。

現世のすべての、災いと思われるもの、逆に幸いと思われるものは、前世での所業の焼き直しでもあるのです。
同じ間違いを前世でやって、また現世でも同じ状況に出くわしたら再び同じ間違いをやってしまうのですね!それが人間なのです。
千一夜物語に「いかなる汝の災いも、すべては汝から出でたる錆びよ!」という、イスラムのことわざが登場しますが、まさに、汝の災いは、この世に生まれた時から発した、自身の「選択」の結果でもあると同時に、それは前世からの所業の続きでもあるわけです。

これが「カルマ」と呼ばれているものです。
逆にあなたがラッキーだと感じたらそれは前世の所業がまわりまわってのお年玉かもしれません。
ご先祖様を敬いましょう、というのはここにあるのですね!

ただ正確に言うなら、ご先祖様といっても肉体的なつながり以外の存在はありません。
ここでその部分に言い及びますと、低次の3角形7,8,9イェツィラー界が作り出す層へ行けばわかるのですが、そこには多くの霊がたむろしています。
その中に4,5,6の高次の層への入り口にあたる場所にあなたの守護霊が立っています。

よく言われますね、守護神とか守護霊とか言われるものです。
それは、父母、祖父母とかの血のつながりによる存在ではありません。あなた自身の原初から続いている過去霊なのです。あなたを見守っている守護霊とはあなた自身の高次の世界に存在する霊なのです。

ここで言えることは、父母、祖父母、ご先祖様は、あなたに肉体を提供してくれた大切な敬うべき存在ですが、霊、魂は同じでありません。現世的な言葉で表現するなら「他人」です。
ということは、自分の子供も、肉体は提供しましたが、霊、魂はもとからその本人のもので、「他人」なのです。そういってしまえば、せつない気もしますが、思い当たる節もあるでしょう! ここをしっかりと理解しましょう!

逆に、こう考えると腑に落ちるところ出てくるのではないでしょうか?
子供は「他人」なのです。自分と同じ性質、性格だと思って過大な期待と、過大な責任は持つ必要ありません。子供は子供です。
子供のためなどとうそを言ってはいけません!よく考えてみてください、それはほとんど自分のためを思って言っているのです。

それだけ、人間は「自我」からは離れることはできません。前世も現世も来世も自我は自我なのです。
自分、私、我、自意識、ここから逃れることはできません。
あとは、当然他人にも自我があるのだと認識してどう振舞うかの問題ですね!

さて、低次の3角形7,8,9イェツィラー界が作り出す層についてもう少し述べてみましょう。

ここにはいろいろな霊がたむろしています。人間の霊もさることながら、動物の霊も存在しています。
動物も肉体+エーテル体(生命体)+アストラル体(意識体、霊)と説明しましたが、自我はなくても霊は存在しています。

ここで、動物の霊と混じったりして、肉体エーテル体と結びつく状態が、狐につかれたとかの「憑依」という状態ですね!
逆に言えば、憑依されやすい体質とは低次の神の世界にまで及んでいる訳ですね!

神の啓示を受けたとかの現象は「覚醒時」でありながら、この低次の3角形7,8,9が作り出す層にアストラル体(意識体、霊)が到達して、そこでの情報を仕入れて帰ってきた状態です。
また、ここへ意識的に近づこうとする行為が、修行によって神の世界に到達しようとする、神人合一の行為でもあるわけです。

修行をしなくてもこの世界に近づく体質を持っている人もいます。
動物霊に憑依しやすい人もその範疇に入ります。
修行者の中には意識的に自分自身を動物霊に憑依させて、神の声を聴きに行くという方法もあります。

うつ、統合失調症、霊媒体質、パニック障害など(ひとまとめにしては失礼かもしれませんが、話を分かりやすくするために)、この方々も、体質的にこの世界に入り込みやすい条件を持っています。
UFOを見たり、龍に出会ったという人などもそうです。ある意味神の世界に近い条件を備えているとも言えます。

この界には、いろいろな霊が漂ってる、と申しましたが、悪い霊もいれば良い霊もいます。
さらに高次の世界から降りてきた、霊、天使とか呼ばれたりする霊も存在します。

しかし、ここで得られた情報はあくまで低次の情報であって、千差万別、まがい物も混じっています。
それをさも神からの啓示だと風潮する輩に対しては、真贋を見分ける目を持って対処しなければなりません。

カバラでは、その先一段界上のアストラル体4,5,6までいって1,2,3から降りてこられた「本神さま」と接見して得た情報が本物だといわれています。
これは、旧約聖書の中でモーゼがシナイ山に登って、十戒の石板を得るときに神に接見しました。その時も、姿は見えず声だけを聞き、後姿を垣間見たという表現で比喩されています。

つまりセフィロートの木で説明するならテファレットまで登って(シナイ山まで登って)ケテルの主とチラッと接見したということでしょう!
イエスキリストも、のちのキリスト教の設定ではティファレットに登って、そこに存在しているとされています。
ここが彼のいう私の国、「神の国」ということでしょう!

歴史的にこのティファレットまで到達したと思われるのは、あと、ゾロアスター教のツァラトゥストラ、仏教を開いた釈迦、イスラム教の開祖マホメッド、日本では空海ぐらいではないかと想像します。


では「龍」とは?ティファレット、4,5,6の高次の界に存在して7,8,9の低次の界に降りてくる、霊でありエネルギーと考えてよいでしょう。
ということは10、われわれの住んでいる4次元の世界では接見することはできません。

たまに「龍」を見たという人の話は、ウソではありません。その人は上記のいずれかの条件に当てはまる人で、時によって7,8,9の低次の界に上ることができて、その時、高次から降りてきた龍に出会ったのでしょう。

これで、龍=六芒星と関連づけることも納得していただけるでしょう。

さて、もう一度言いますが一般的に預言だの、神の啓示だとかの情報は、ほとんど低次の界からのもの!

ここで一般的に神様と呼ばれるものを考察しますと、ほとんどのものはこの7,8,9イェツィラー界に在する、霊、動物霊、過去の英雄霊、そして祖先霊、つまり自分の霊であったりするのです。

それとも、たまに謁見することができる、もう一段界上のベリアー界から降りてきた龍であったり、意図的にティファレットに位置されているキリストだったり、釈迦だったり、大天使だったりするわけですね。大きな宇宙の構造から言えば、小神様というべき存在でしょう。

ユダヤ教、イスラム教では大きすぎて見えない存在、セフィロートの木では1のケテル、この宇宙を創造している絶対ゼロの存在を唯一神として神としている訳です。

ゆえに、大元神ケテル、創造主、絶対ゼロの存在からの大きな動き、流れは変えられません。
ないもの無から創造しているのは唯一、4次元の世界が拡張されているところに新しいエネルギーを送り込んでいる、絶対0の存在のみ!
【ここで、その六芒星の宇宙理論とカバラのセフィーロートの木(生命の木)の関係を図解で示します。】


あとはその中で、あちらを取ればこちらが減るといった話で、総量は変わりません。
「お天道様に貸し借りなし」ということですね!それを祈ったりしても原則は変わりません。

しかし太古の人々は、自分たちの大切なもの、例えば御供とか、犠牲をはらって少しでも願いを聞き入れてもらおうとしたのですね!
一応、理にはかなっていますね!代償を払って何かを得るという意味では!
いわんや、代償も払わずに何かを得ようとするなら、それは天の理に反すること!
「お天道様に貸し借りなし」という意味は現在の空間の総量に対しても言えますが、これは時間を超えても言えることなのです。
ここが「魂」は時間、時代を超えて続いているといわれるゆえんなのです。

「汝に降りかかる、いかなる災いも、そはすべて汝から出でたる錆びよ」千一夜物語(イスラムの格言)というのを前述しました。
これは、現在ある自分の境遇は、生まれてから今日までの、自分の些細なことも含めての選択した道の結果であるということですね!
人のせい、政治のせいでも、親のせいでもありません、自分の選択した結果なのです。

しかし、それだけでは説明がつかない事象もあります。自分の意志ではどうにもならないこと、例えば、ここに生まれてきたこととか!
それも含めて、魂は存続していると考えるならば、前世の借りを、現世で払う羽目になっているのです。
前世で払ったならば、現世で借りを返してもらっているのかもしれません。

現世で借りを作れば、来世で償わなければなりません。
そういう意味でも、大宇宙に貸し借りなし。それもすべて、連続する自分の魂の中の浮き沈みですね!

さあ以上のことで、「神」とは便宜上人間が名付けたもの、それを神と呼ぶかどうかは別にして、大宇宙の仕組みと、死後の世界、また現在生きている肉体を持った「私」とは何かを理解していただきましたでしょうか?

人間は肉体、生命体、意識体、自我の4つの要素から成り立っているというのがすべてを考察する上でのカギです。それはこの世に存在する、鉱物、植物、動物、人間の4種類の性質にも通じ、そして宇宙の層、4層にリンクしているということです。

もう一つ、自我(魂)は変わりません。ずーっと続いています。遺伝しません。しかし、肉体とエーテル体は遺伝します。
メンデルの遺伝の法則でも、エンドウのいわゆる植物の例で示されていましたが、植物すなわち、物質+エーテル体(生命体)の創造物は法則通り、オス、メスの両者の形態を受け継いでいきます。

動物の場合はアストラル体(霊)は変わりません。ゆえにイェツィラー界に動物霊も存在するのです。
人間の場合も肉体+エーテル体(生命体)との組み合わせの部分では、法則通り遺伝していきます。しかし、アストラル体(霊)+自我(魂)は遺伝しません。アストラル体(霊)はベリアー界で浄化されるとされていますが、自我(魂)はずーっと自分のままです。過去もこれからも!存在し続けるのです。
これが、私が得たところの、人間とは、そして宇宙の法則です。
皆さんも手っ取り早く、宗教などから言いなりに得るのではなく、自分なりの死生観をしっかりと研究してみてください。そして思い残すことなくあの世へ旅立ちましょう!

もう一つ、言い忘れていました。体験談の中で霊能者が鬱、統合失調症、パニック障害などは「霊障」に取りつかれているのが原因だと述べていたと述べてありましたが、人間の構成をA肉体【物質】+B生命体【エーテル体】+C霊体(アストラル体)+D魂(エゴ)の4つから成り立っていると考えれば納得がいきます。

A肉体【物質】+B生命体【エーテル体】とC霊体(アストラル体)+D魂(エゴ)の結びつきに問題があるとき、いくらA肉体【物質】に薬を与えたり、注射をしたり、切ったりはったりしても問題の解決にはなりません。ここを解決するには、高波動エネルギーを照射して、修復、浄化する以外に方法はないのではないかと思っています。

波動エネルギーといえば、まだ未開の素粒子も含まれるので、誤解を生んだりすることもありますが、宇宙ができた時から創造されているエネルギーと解釈すればいいでしょう。

「浄化」とは、必ずそこにあるものより「上位」、「高次」、「位階の高い」、「きれいなもの」で洗い清めることです。

高次の世界に飛び立った後、その界でいずれ魂、霊の浄化が行われるようですが、できるだけこの世で遺恨を残さず、「汚れ」「凝り」を浄化させて飛び立ったほうが、あの世での苦難の期間が少なくてすむかもしれません。

また、それによって現世での進化、成長が評価されて、来世のポジションにも反映されるかもしれません。

【終わり】