〜〜〜〜 マグカップによる心のコミュニケーション 〜〜〜〜
欧米、特にアメリカへ旅行した経験のある方は、マグカップが、空港やショッピングモールのギフトショップを始め、いたる所で売られていることに、思い当たるのではないでしょうか。そして、そのバラエティーの豊富さは日本の比ではありません。
なぜこの様にマグカップの需要があるのでしょうか。アメリカでは薄目のいわゆるアメリカンコーヒーを、家庭であるいはオフィスで、いわば日本でのお茶と同様に頻繁に飲む習慣があります。日常的に飲む場合には、カッ
プ・ソーサーの様な改まった形式は不要です。手軽でカジュアルなマグカップの方が、自然と主流になってきたのだと思われます。
マグカップの売場スタイルは大きく二つに分けられます。一つは、食器として自分の好みにあった物を自分で選ぶ、他の食器類とコーディネイトする、台所のインテリアと合わせる、この様な目的にかなったマグカップを扱うデパートの食器売場です。オーソドックスな絵柄、コンテンポラリーな絵柄と、従来のデザインを競う形で売られています。
もう一つは、ギフトショップ。文化的にも物質的にも成熟したアメリカでは、クリスマス、バースディー、母の日、漫画のジョーク等バラエティーに富んだ図柄や言葉の入ったマグカップが、グリーティングカードと同じように売られています。
これは自分のために買うと云うより、ギフトとして人にプレゼントする為の物です。食器としての使用目的を考えるだけではなく、自分の気持ちを伝える手段として利用されているのです。カードよりは少しでも使い勝手のあるマグカップの方が、自分の気持ちもセンスもより表現できるし、もらった人が気に入って毎日使ってくれればこれ以上の喜びはありません。こういった気持ちのやりとり、一瞬のジョークをも物に替えて生活に潤いを与える、それを大切にしているのが現代アメリカです。物質文明でありながら、心が十分に行き届いた余裕文化の現れでもあるのです。
アメリカである老夫婦の家庭を訪問した時のことです。食器棚には色々なマグカップが、あるわ、あるわ。それも、いつも使用されているとは限らない物まで実に沢山。そしてこの老夫婦が、”これは誕生日に孫にもらった物だ”とか、”これは昨年のクリスマスに娘からもらった物だ”とか、”この台詞がキュートだろ”とか、それは誇らしげに見せびらかすのです。食器として使用するだけでなく、この会話、この時間を大切にし楽しむ時に、アメリカではマグカップが一役買っているのだと強く感じました。
日本でのマグカップの位置はまだまだ実質本意で、上記の様な意味を持った物とは切り離されて考えられている状況です。が、文化の成熟と共に近い将来、生活の中の潤い的存在としての拡がりが根付いて行くことでしょう。
これがマグコムのコンセプトでもあり”豊かな社会の本当の喜びとは・・・金とか名誉を得るのではなく、ほんのささいな価値あることをすることから生まれるのだ!”というWILFRED T. GRENFELL
(アメリカで私財を投げうって次々と大学を設立した人)の言葉にも通じる物であると思います。